大仙寺の歴史
文禄四年~正保元年
この寺は、文禄4年(1595年)に正善院日堂上人が江戸八丁堀(現中央区)に堂宇を構え、布教した事に始まります。
それから約50年後の正保元年(1644年)には、浅草八軒寺町(現台東区寿)に寺領を移し、
長くこの地に寺院として建立されておりました。
昭和二十年~昭和二十三年
ところが昭和20年(1945)3月10日、
東京大空襲に遭い建物を焼失。
昭和23年(1948)5月に
現在の地東京都小平市に移転、再建いたしました。
寺名の由来
寺名は、日堂上人が佛門に入る時、中将位にあり、大仙と号していたので、
この官名と号から人々が親しみをこめて、中将山大仙寺と呼んだ事に由来します。
浅草時代のこの寺は、宗門最高寺院の貫首などを多数輩出した事から、
『出世寺』と呼ばれた名刹でありました。
また、学僧の寺としても、
役僧の隠居寺としても名高い寺でありました。
当時、参道入口に柳の大樹のあった事から、通称「柳寺」とも呼ばれ、
また「子安鬼子母神の守護寺」としても庶民の信仰を集めておりました。
本堂横参道に江戸末期の有名な浮世絵師、歌川国芳の墓がある。